ビジネスセンスは生き方のセンス
タイトル通り。

仕事のセンスは、生き方のセンス、

に置き換えてもいい。


それにしても、猫って呆れるほど可愛い。
切り刻めないなにか
同居人のくーちゃんの可愛い頬をなで
ちょっと曲がったしっぽをもてあそんで、
肉球の温かさを感じ、
押し付けられる鼻先の冷たさを感じていると
ふ、と研究時代を思い出しドキッとすることがある。

当時、寒い手術台で私はマウスを解剖していた。


マウスを頸椎脱臼させるときのブチっと神経をちぎる感じ
頬の筋肉のしたの静脈めがけて、突き刺すニードルの
皮膚を突き破る感じ、
マウスの毛皮をはぐ感じ、
その下に現れる筋肉や動く心臓、びくびくと呼吸しようとする肺、
だらしなくデロンと出てくる腸。


私の手の中で安心しきって目をほそめている愛おしいこの存在は
あの時解剖したマウスと同じように
骨格や筋肉、血管、神経、臓器、血からなる物質的な存在でもあるのだということに驚く。

あの時と同じように、もし私がくーちゃんの首根っこを抑え、しっぽをぐっと引っ張ると
命が、照明を切るように、いともあっけなく途絶えてしまうであろうこと、
そしてそれはおそらく事実だということに驚く。





サイエンスは生命を切り刻み、細分化していって
その仕組みを物質的な視点から解明しようとする文化だ。

生命を感じたくて進んだ道だったはずなのに
切り刻めば切り刻むほど、生命を物質的にしか感じられなくなってしまうというジレンマを抱えて悩んだ日々。





生命個体を殺す作業はヒトとしての何かを殺す。

そして私は、サイエンスを辞めることにしたのだった。







私たちは間違いなく物質的な存在だ。

物質どうしなのに

ふいに誰かと心が通じ合ったりする。

それはなぜなのか。

切り刻めない何かの存在があるからか。

それは何なのか。

目と目が合って、胸になにか温かいものが流れ込んでくるように感じるとき

この目にみえない流れ込んでくるものは一体なんなのか?




命ある物質に内包されている、切り刻めない、何か。

単なる、神経伝達物質の移動だけでは説明のつかない共鳴現象を目の当たりにするとき

なにかささいだけど大いなるもの、

その存在をみとめざるを得ない、と感じることがある。


命って何なのか。
愛って何なのか。
魂って何なのか。


言葉で説明できる肉の塊、という次元を超越したところにあるこの存在。


でもね、深いところではきっとわかってる。
泣きたくなるほど愛おしい、何か、
だってこと。


さっきと逆バージョンで。

上の子は不器用なのと、努力癖が手伝って
何かコツコツやりつづけられる。
そして、できるようになると
嬉しくて楽しくてずっとやり続けるところがある。
周囲の空気も読まないから
1人の世界にこもりやすい。

そこから才能と呼ばれるものや、秀でた技術と呼ばれるものが生まれることがある。


末っ子はわりと何でもできるけど、
そう努力しないでそこそこできてしまうからすぐ飽きて
次々と手をつけて、器用貧乏になりがち。

コレ、といった特技をあげられないことを悲しんでる。

周囲の空気を無意識に読んでしまうから、
本当の自分の本音を見失ってしまうこともある。

何も特技がなくっても(ほんとは色々できるから誤解なんだけど)
居るだけで喜ばれるっていうなお得キャラなんだけどね。


上の子は何でも与えられてきたから空気が読めない。
でも、途中で愛情を、下の子に奪われた経験から
手にした愛情がいつかなくなるんじゃないかという不安感を根底に持つ。

こちらに注意をひきたくて、やさぐれてみたり、何か頑張ったりでしゃばったり努力したりする。

一言でいうと、空気の読めない不器用キャラ。

報われなさすぎてひねくれちゃってることもある。




末っ子は空気を読むのが得意。
上の子の横暴を交わしつつ、欲しいものを得る術を自然と身に着けるからだ。
少し待つことで欲しいものが得られる、
そういうタイミグをよく知ってるから出しゃばらない感じで、欲しいものを手にするタイプ。
お調子者だったりもする。

親からの愛情を一身にうけて、自己肯定感がしっかりあるから
愛嬌があって、自然と愛情を独占していく。

一言で言うと、空気の読める愛されキャラ。



職業柄、いろんな家族やその個々の性格を知っていく中で
そんなことを感じる今日この頃。


ちなみに、私は第一子。

正直、一人っ子や下の子として生まれた人がうらやましいが
むしろ不器用なくせに、それでもなんとかやってきたのだからそれでヨシとしよう。

そして、みなさん、色々やらかしちゃうのは、けして悪気があるわけではないのですよーー。
でも、やらかしてごめん。
なんだか体が重いから
断食か肉断ちそろそろしたいなーーー、
と思っていた矢先、

めったにひかない風邪でしばらくダウンしてた。


おかげでプチ断食、3日目になる。

プチ、というのは少しは食べた、という意味。
けど、食したものといえば、

レタス、
茶碗蒸し、
ゴーヤちゃんぷる肉抜き、
塩水、
豆乳、、

くらいかな。
けど、すぐ下るのでたくさん食べる気も起きないし
そもそも食欲もわかないので苦もない。

そこでの効能をメモ。


**************************


①心、穏やかになる
まず、普通に感情はわくのだけど、それがそんなに長続きしない。

これは素晴らしい。

仕事で(人知れず)苦労して頑張ったことがあった。
だのに誰もなーんの感謝もなく
むしろダメ出しだけで、哀しかったり寂しかったりしたのだけど
いつもより確実に短時間で平常心に復活した。

感情を感じるのに必要なエネルギーってけっこうな量なようで
『えーーん、哀しいよおおおおーーー、』

って感情が暴れても、すぐ、体が疲れて、
『あー、まじ疲れるし、楽しいほうにかんがえよう』

となる。
体が飢餓状態だと
感情に無駄なエネルギーが回らないようだ。


②感謝の気持ちが湧く
(客観的に自分を見る力が湧く)

これは①の副産物的なモノかな。

先ほどの、誰からも感謝されなくて、なんだか悲しかった感情の後に
ふと自分を見返す心の余裕ができた。

『誰からも感謝されないことを嘆く以前に
そもそも、私はそれ以上に感謝を表現したことがあったかしら?』

って。

そう考えると、反省点だらけで
いや、ここで感謝とかされなくてたら非人間化が悪化してたから、
まじよかったわ、と思うくらい
自分の至らなさが見えてきた。

感情がなくなったスペースにはとても価値ある客観性が生まれるようだ。
感情ってほんとスペースとるんだね。。。。


感情は悪いわけじゃないけど、
そうたくさんもは、もういいやあ、、、って思う。



番外として③:痩せた
ま、当たり前か。



上記①②③の代わりに
体がフラフラするし、きゃぴきゃぴした元気がでないけど、
その欠点以上に、この状態って生きやすい。
なんかわからんけど、幸せ。

これが年齢80歳くらいの老成した心境なのかしら。



なかでも、
不安が小さくなった、てのがホンといい。
逆に、これまでどれだけ不安の中で生きてたんだ、ってくらいだよ。


断食ってこんな時の強制的なのじゃないとなかなか難しいから
今回、体調崩したのは、ほんとラッキーだった。


大人になってよかったな、と思うことの一つは

値札を見ずに買い物できるところ。

タクシーに何の気なしに乗れるところ。


あー、この自由を子供のときに教えてもらtってたら
もっと大人になるのが楽しみだったのに!って思います。

親はカネナイカネナイ、でいつもイライラしてたので
CD一枚買うのでも私だけこんなに贅沢していいのかしらと
罪悪感にさいなまれた子供時代、、、。









最近の大好きな人達のうちのひとり。

心屋さんってひとで、
テレビで知ったのですが、
芸能人をカウンセリングやってらっしゃるところを拝見して
その芸能人とともに私も一緒にテレビに向かって号泣してしまったりして
なんか凄い〜、と。

ブログも時折見るんですけど、
今日の投稿がぐっときました。
http://s.ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12132222310.html


"うちのカウンセラーたちは
技術も決して未熟じゃない し
でも、それ以上に
そんなことよりも
生き方が自由で
幸せなのが自慢なのです。 "



うわー、愛だなー、信頼だなー。



自由に楽しく豊かで、
その生き方で人を幸せにする、

そんな生き方をしたいと思いました。


  いい家をつくりたかったら

ってタイトルだけどとりとめなくツラツラ書くよ。

私、毎日、幸せだ。
特に物申したいこともない。
強い言うとすれば、

「私この地球が大好きだーーー!」

特に、大地と海ね。

だから「私の地球を汚さないでよ」、って時々思う。

だけど、地球環境問題に対して、そうストイックにもなりきれない。

寒いのは嫌いだから空調もガンガン使うし、いい香りの柔軟剤も好きだし、
油ギトギトの料理も、肉も魚も好き。
暗い部屋に帰るのが嫌いだから玄関の照明だけは消したことはない。

電気も水もじゃぶじゃぶ使う。

こんなに気前のよいところも、地球の男前なところだ。
地球って、めちゃくちゃ懐が深いのよ。
莫大な量のウンチも油も、その懐にとりこんで浄化してしまうんだから。

責任転嫁するわけじゃないけど、
地球を汚してるのはそんな物理的なことより
人の汚い考えで汚れてしまうんじゃないかと思う。

足りない足りない、、、って際限なく求める乾いた心とか、
羨ましい羨ましい、、、ってどこまでも他人軸で自分を忘れたままの寂しい心とかがこじれて
泥棒したり、殺したり、
戦争しちゃったり、原発をやめられなくしたりするんだと思う。


ホントは奪い合わなくても充分ある。
ホントは敵なんていない。
ホントはすでにいいものがあって豊かになるのはとても簡単。

そもそも不幸せな人間はろくなことをしでかさないわけで。

そういえば、どこぞの独裁者はすごく寂しそうな顔をしてる。
まるで夕暮れに知らない町で迷子になって泣きそうな子供の顔だ。
寂しくて寂しくて、それを満たそうとするうちにぶくぶく太って、
存在に自信がなくて威張り散らしてる。

ホントの幸せは自らの内にあるのに、
間違って外を探すうち、際限なく外へ外へ向かって迷子になってしまってる。



住宅の設計を通して私がずっと考えてきたところは
人の幸せの根本がどこにあるかというところだ。

幸せな施主は自分の本音を知ってる。
自分が何が好きで、これから作る空間でどんな時間を過ごしたいのかをきちんと知ってる。
だからそれを素直に実現できるプランになるし

自分に向きあう時間や空間をとても大切にしてこだわりと予算をかける。
設計打ち合わせは、お互いのことを想いあってるっていうコミュニケーションの機会と同義だ。

さらに、最近気づいたのだけど、そういう施主さんたちは必ずと言っていいほどパートナーと 快適な セ ☆クスできちゃう感じの家になる。
この話はまた今度♡

そんなふうに自分を大切にするために使われた時間とお金は、
同じ質のエネルギーの流れを作って
そのエネルギーで形になった家はそのエネルギーを記憶して住む人に再現しつづける。




私、地球が好きだからね、

私が作りたいのは、自分を大切にするエネルギーを再現しつづける装置としての空間だよ。

かの独裁者すら幸せにしてしまう家を設計してみたいとも思う。

人には自分の愛し方を知ってほしいと願うよ。




強引にまとめるけどさ、
いい家をつくりたかったら
まず、自分の本音を知ることだよ。
そしたら自分をどうやって大切にしたらいいかが見えてくるから。


■そういや・・・
おもしろいことに気がついた

昨日、チャーリーと話してたら
『今日の君の英語はどうしちゃったんだ!!
 とっても下手だ!!』
とシャウトされた

確かに、いつも以上に
ムリヤリ引きずり出すようにして発音して
強引に単語をつないで会話してる感じだった

だけど昨日に比べ今日はスルスルとでてきた



■それで分かった

精神状態が良くないと上手に話せない、ということだ

昨日はソワソワして泣きたいほどナーバスだったんだけど
ナーバスになる要因がなくなったとたん
しゃべりやすくなったのだ

ナーバスな状態では
いかに脳がスローになってしまうかということだ

逆をかえすと
リラックスした状態では脳はよく働く

それで思ったのだけど、頭の回転の早い遅いって
じつはリラックスするのが上手か下手かにかかっているのではないか?

だから『あいつ頭いい』と思われたければ
どんな状況でもリラックスしていられる精神をもってみてはどうだろう
■私と付き合ったとたんその人がパチンコで30万円ちかく勝ったり
新しく付き合い始めた友人がビジネスで大口の契約を取ったりと
私の近辺ってなんだかツイてるなあ、とおもっていたら

私自信も昨日、ガラガラの福引で当たりが出たり
友人に誘われて初めてやったロバートキヨサキのゲームで一番にラットレースから抜け出せたりと
なんだかツイてる

とくにガラガラの福引は3回できて、3個目で当たりがでたのだけど
その玉には、もし私のある望みが叶うなら当たりが出る、
と思いながらすごくドキドキして引いた

なので当たり前のように
ポロっとあたりが出てきたときにはびっくりした

このまま行けばきっと叶うよ、と幸運の女神に告げられたような気分だ


■こんなふうにツイてるとなんだか怖くなってくるね

幸せを人にあげられるひとは
きっと怖くないんだろう

あげることでそれを共有する幸せが得られるからだ
きっとあげた幸せは別の形でまた帰ってくる
そうやって循環することで
幸運は訪れ続けるんじゃなかと思う

つまり幸運の女神にあたし自身がなって
これを読んでるあなたもきっとそうなればいいんだと思う


■と考えたところで
なぜか最近探していた答えが分かった

リッチになってあたしはどうしたいのか?
以前、高級車に乗ってリッチになろ~っと♪と気軽に決めてしまったが
それでどうするのかのほうが実は大事だと思う

探していた答えは、

誰かと幸せを共有する


というものだった

一人で高級車に乗ってもつまらないし
一人で世界一周してもつまんない

きっとあたしは誰かと幸せな時間を共有するために
自分も周囲も幸せにするんだと思う












そうやって過去の栄光をエンドレスに語ってるあんたさあ
こっそり裏で失笑されてんだよ


一流を語ってカッコイイのは
現役で上見て進んでる人だけだからね



チェルシー哲学
■少し体調がいい。
相変わらず私は生きてて、それを奇跡のように感じて、多幸感がある。
空気がおいしい。



チェルシーというキャラメルとバターの味がする飴を食べている。
食べ始めたら止まらなくなってしまった。
さっき売店で買ったばかりなのに箱にはもういくつも残ってない。

甘ったるすぎる飴に内臓はウンザリしてるのに
糖分により快感を得るよう仕組まれた私の脳は
さらに快感を求めて飴を求め続けている。

私は脳の言いなり。
快感の言いなり。

ムカムカする胃を無視して飴を口に放り込むと
すぐさま『ムカムカ』より『おいしい!』に支配される。

飢餓の心配のない現代においては
過食はメタボを引き起こすばかりなのに
私の古い脳は相変わらず
糖分摂取を奨励しつづける。

それに抗えないあたしもあたしだが
いい加減にこの脳みそにウンザリしてきた

ああ、ウマすぎ、この飴



■古い脳だけじゃなくって
もっと全身の意見を聞かなくちゃ、と思う。

これは私の『意識』が総合的に判断してそう言ってる。
このままじゃバランスが悪いと。
意識とは少し進化した脳の意見のことだ。

ストレス、過食、アンバランスに身体を酷使する労働
こんな時代でも人は生き抜けられるように
私たちはちゃんと新しい脳に進化させたのだ。

ちょっとは環境に適応してんじゃん、あたし。

飴を食べ過ぎて反省したときなんか、特に実感する。
頭に糖がいつも以上に回ってるからだろうか。



■しかし意識は生きるためのプログラムにすぎない。

環境の変化に適応するために新たにインストールされたソフト。

意識的に飴を食べるのを辞めようが
それがあたしの意志とよべるのかどうか疑わしい。

生き抜き、遺伝子を伝えるよう基本のプログラムされた脳が
食べすぎで寿命が縮まる、もしくは繁殖の機会を逃すという知識によって
自動的に食べすぎを自粛しただけだから。

高カロリーという危険因子に体が防衛応答しただけだ。

でも私は意志を持っているような気がするし、
なら『わたしの意志』って何なのだろう?
つまりあたしは一体どこにあるの?

きっと意識よりずっと深いところにある何かだ。
無意識というやつなのだろうか。
それとも私は『意志』を
『太るのやだから食べるのや~めた』よりもっと個性的で崇高なものだと夢想しているだけ?
意志って、全身全霊で(←ちょっと大げさ)情熱をかたむけられるようなかっこいい部類に入る『想い』のことだと思ってたのね。





さっきから体の筋肉は使われることをうずうずしながら待ってる。

とりあえずパソコンの前から離れて
少し散歩してこようと思う。
考えすぎると体の声は聞こえない。

もっと体の声を聞けるようになったら
私はもっと意志について分かるような気がする。





それにしても机に向かうことが多すぎるこの生活が
すこし息苦しい。

ついでにこんな文章でますます読者がいなくなってしまいそうなのも。
というか、みんなは考えないのかな、こういうの。
10代に一度は考えたよね、ね、ね、、、、、、、。







■京都市に愚痴■
どーして燃えるごみの日が週2回で
プラスチックごみの日が週1回なの?

どーしたってプラスチックごみのほうが
燃えるごみの5倍はある

だって紙は古紙回収に出すし
野菜なんかは、廃棄をださないように端まで使うから、生ゴミもほとんど出ないし。
そしたら燃えるゴミなんてほっとんど出ないわけよ。

私たち、石油だらけの時代に生きてるんです
時代についてきてください、京都市。


■日記■
更新してすぐは酷い文章で
それを見られるのが恥ずかしい



でもイチイチ、ワードとかに下書きするのは面倒だ

悩みどころなのよね。

推敲中、的なボタンがあればいいのにな、っていつも思う。

涙も流れないほど
心が堅く冷たくなってしまいそうなときは
こう思うことにしてるんだ


それでも私はいままでサバイバルしてきたよ
それは生き抜く強さと賢さを持ってるからだよ
だからこれからも大丈夫


って。

不幸にされたカワイソウな自分を悲しむより
それを乗り越えてきた自分の強さを認めるほうが
力がわいてくるでしょう。



ねえ君、
ここに来たのは偶然じゃない
必然なんだってこと忘れないで
■アボリジニーは言う
声は無意味なおしゃべりのためでなく
歌うためためにある、と



:::::::

パースの課題をしながらなんとなくラジオを聴いていたら
うん??
と耳にとまったのがこれ↑

あるシンガーソングライターが言っていた

すごく素敵な思想だ
仲間と心が通じているという信頼感があるから
声によるコミュニケーションを必要としないってことだ

私たちはしばしば、お互いの気まずさや不安を払拭するために
気を使った余計なおしゃべりをたくさんする

アボリジニーと声と歌う、で検索してみたら
原典と思われる本がヒットしたので
その本をアマゾンで注文した

おもしろかったらいずれ紹介しようかな
■ふと舞い降りてきたもの

突然、舞い降りてくる考えやフレーズって侮れません
有用なことが多いからです。

今朝、母から重たい荷物が届きました。
実家で採れた新鮮な夏野菜が
ダンボールをはちきらさんばかりに入っていました。

私はなんだかうれしくなって
そのなかの真っ赤に熟れたトマトを
キッチンで丸かじりしていたときです。

あっ、と思いました。

『私が無理して固くなって疲れちゃってるのは
 自分がデキるやつだ、と思われたいと思っているからだ』

このフレーズが頭のなかに舞い降りてきたからです。

ああ、そうか、と思いました。

近頃やたら疲れてる理由はこれだったんです。
完璧な理想像を描いているのにうまくそぐわない、
それをうまく認められずに理想にすがりつくから無理する羽目になって
結果、オーバーワークで肉体的にも精神的にも疲れてたんですね

自分が他人より優れるとか気にするって
自尊心が低いってこと

自尊心がしっかりしていればそんなの
きっとどうでもよくって
もっと前向きに
もっと楽しく
もっと自由になれる

そんな気がします

だっていつも他人がどうかを気にしてばっかりいたら
うまくいかなかったらどうしよう、とか必要以上に心配したり
うまくいなかかったら、必要以上に落ち込んだり
うまくいったらいったで必要以上に傲慢になったり

そして何より他人ばかりが気になって
心配や後悔ばかりしているわけですから
自分が嬉しいとか楽しいとかいう単純な感情に鈍感になる

それって直感を鈍らせるので最もいけないことです

■失敗だらけ

このことに気づいたら
失敗を失敗と認めている自分がいることに気がつきました。

コレまでは失敗を認めたくなくって知らず知らずのうちにいい訳してました。

この前、ちょっとしたことで必要以上に注意されたときに
私はすこし反論をして、その後ある人が、

『ああいうときは、
 はい、すみません、
 次から気をつけます、
 って流しておけばいいんだよ』

と指摘してくれたんですね。

で、そのときは
(??そんなものかなあ?私は間違ってなかったのに反論しないなんて損してるだけじゃん?)
という感じだったのですが
今なら分かります。

そんなことしてたら誰も注意してくれなくなちゃいますよね

誤りを指摘されない環境は
自分のためにもなりません
だからいい訳するどころか感謝すべきなんですね

はは、あたし失敗だらけだ。
たぶんこのテの失敗をすっごくたくさんしてきた。。。
たった今まで気づかなかった

ポリポリ (・・*)ゞ

これが今のあたしだ
でも改めていこう
状況はきっとすごく変わってくると思います
美しさとは
それが機能する最適の状態を内包する

削りたての鉛筆が美しいのはそのためだ
アイロンのかかったシャツが美しいのはそのためだ
よく手入れされた革靴が美しいのはそのためだ
emecoの椅子が美しいのはそのためだ
よくコーディネートされた部屋が美しいのはそのためだ
朝日に輝く緑の葉が美しいのはそのためだ
乳のみ子を抱く母親が美しいのはそのためだ

内に秘めた情熱を静かに燃やしているあなたが美しいのは
そのためだ

美に 向かえ
何者かになりたくて
やってくる夏と競争するような
日々の青臭さがいとおしい

ただ年相応に
も少し優しくなれたらなぁ
『自分についてる嘘は何ですか』

たまに自分に問いかけてみるといい問いですね































■なかなか心に嘘ついてても
嘘ついてるとは思えない、
というか思いたくないもんだ

気がついてしまったら傷つくから
無意識にブロックしてしまう

■だけど心に嘘ついてないかどうか見分けるのは
自分の行動と心の動きでわかる

率先してやってたり
やりたいの!って思ってわくわくしてるなら
多分本当

ただ気分が高揚してないのなら嘘ついてるか
っていうとちょっとちがくて

ちょっと寝不足、とか、体調が悪い、
ていうのでうっかり心が望んでないのかなと
判断し間違えるから要注意

だからいつも体が健康で力がみなぎってること

これが素直に生きるには一番大事かなって思う

■ただなー
本当ばっかじゃ生きられないんだよねー

社会生活してるとやりたくないことって
いーーーーっぱいあるし
心に嘘ついてでもやんなきゃいけなかったりする

だからやりたくないことを
いかにやりたいことに昇格させるか(嘘を本当にするか)
ってのを考えることが実生活ではヒツヨウだなと思う

■くだらないことでいうと
部屋を片付けるのめんどくせーーー
とか思うとき
友達を部屋によんでしまう

素敵な部屋をみせたくて
おもわず片付けちゃう

■ほかには嫌な人間関係のなかで
仕事が嫌になちゃったのにしなきゃってとき

心に嘘ついて仕事するには
楽しみを見つけることだ
楽しむために
とことんゲームにこだわって
完璧な勝ちをとりに仕事に打ち込む

自分をだましてるうちに
仕事好きになってることもあるもんだと思う

■思うんだけど天才は多分、
そういうのが苦手で
ホントに好きなことしかできなくって
結果天才的な仕事をしてしまうんだろな

■私はいまんとこあまり自分に嘘はない
だってあたし嘘を本当にかえる天才なので

たはは、つくづくあたし凡人☆
いいよーだ
凡人道の天才を極めますから
■みなさん、体に痛みはないですか?
スムーズに動きますか?
だったらその体にとても感謝しましょう

そうじゃなくても感謝しましょう

だって息吸って吐いて生きてられてます

それってとてもすごいことです
わすれちゃいそうだけど
すごいことです

■「手術しかないです」
無表情に告げる江原(さんに似た整骨院の)先生

悪夢で目覚めた
体を起こそうとした瞬間の激痛で思い出した
ああ、いま動けないんだ、あたし

天気が悪いからか腰がすこぶる重い
痛みも酷くなっている
歩けない

あと十年でいい
それまでに必ず生まれてきた意味を見つける
そしたらこの体は使い捨てるつもりだった
だから十年だけもてばいいと思ってた

あたしとあたしの心はお互いそう納得してた
だけど一人、納得してないヤツがいた

カラダだ

カラダが何か伝えたがってる
このところ伸ばしてもない指の爪に続けざまに6本ヒビが入って
マニキュアでなんとか補修してしのいでる
そこにきて腰(今はヒップの方まで痛みが広がってる)の痛み

―――――捨て鉢な生き方を改めろ―――――――

そんな意味が突然ひらめいた

そうか、そう伝えたかったのね
ずっとないがしろにしてきて悪かったよ
君とあたしはお互い様ってやつだよね



この痛みは
生まれ変わりの痛みに似てる

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