■特別な痛みとともに愛を知る

私のバージンを奪ったのは
満杯のグラスラックでした・・・・・

こんばんわ、
腰を痛めたっぽい るん です
この部位への鈍痛は初体験です

ハイヒールで中腰で重い荷物、という三拍子そろった悪条件を経た日の夜
腰の奥を針で刺すような痛みを感じはじめ
お引越しのバイトが最終打となって
いつのまにかこんなにも酷くなってきました

歩くとズキズキ
くしゃみでズキズキ

帰宅した瞬間は
気が緩むのでしょうか
もう二足歩行できません
モスラのように這って移動してます

ああ人間になりたい

■なので本日、腰痛もちの方の辛さを知りました

るんの 腰痛もちの方への愛
1レベル アップ☆
助け合いには二種類あるみたいです

私は人を時計の歯車みたいなものだと考えています。
社会というなの時計の針を進めるために
人はそれぞれ責任をもって自身を回さなくてはなりません。
たった一つでも潤滑油が乾いて動きが悪くなると
渋々、他の歯車が余計に力をだして止まった歯車を動かす、
そんなふうに人は他者に力を貸すことができます。

でも別の助け方もあるんですね

それは歯車とはまったく関係のないところで
他者のために何かする場合が。

なんなんでしょうね
この摩訶不思議な人のすること

たとえるならギリギリと無理して回っている歯車に余った潤滑油をそっとわけるような。。。。
そこにはちっとも無理がないんですね。

こういうことがあるから
人間をなかなかやめられないのかもしれません

寝不足でちょっと頭がおかしいです
美白ブームの昨今、メラノサイトは敵対視される向きが多いですが
UVから肌を守るという点で大切なものです。
なのでメラノサイトを刺激する薬剤を開発している製薬会社も存在します。
それで面白いことを知りました。
その薬剤、実は副作用として性欲亢進が起こるみたいです。

つまり

メラノサイト刺激ホルモンがたくさん分泌

メラノサイト活性化

色素沈着かつ性欲旺盛

となるらしいのです。
ここで肌の色と性欲が相関するのではないか、という疑問がわきます。
実際にどうかというと
これは判断が難しい。。。
なにせ他人の性欲なんて深く付き合ってみないとよくわからないし
むろん私の知っている人だとNが少なすぎてよくわかりません。

でも一般的な感覚だとまあ、そんな感じかもしれない、、といったところでしょうか。

みなさんの周囲ではどうでしょう?

ところで色白は七難隠すといわれ
日本では色白の女性は好かれますね。
これって色白の女性は性欲が少なくて
無意識で貞淑で好ましいと判断している、ということなのかもしれません。

また、チャラ男やギャル娘が肌を小麦色に焼くのは
無意識に性欲旺盛さをアピールしたいのかもしれません。
じゃりじゃりじゃり
忘年会シーズンが目の前ですね。

『酒は幸せで仕方ないその瞬間に流し込め』

楽しく呑んでナンボです。
そのためにもがんばりましょうか。
くれぐれも呑み過ぎないように、あたし。

・・・・とそこのあなたも。
http://diarynote.jp/user/81126/
シマリスさんの記事を読んで私も胸が痛くなりました。
まだ選択する以前だったら、まだやりようはあったのに、と思うと辛いです。

(自分もふくめ)人ってつい、自分の成功体験をおしつけてしまいがちですね、
なぜならそれ以外で乗り切る方法を知らないから。

その父親は偏差値以外の尺度、もしくはC高校のことをあまりよく知らなかったのではと思いました。

偏って知っていることはとても危険なんだと思う。
判断材料をあまり知らない場合物事の良し悪しは、
より知ってるというだけで「良し」と判定してしまうことって多いですから。

子供があまりに抑圧されててきちんと説明できないならば母親や兄弟が
きちんと父親に説明すればいいのだとおもいますが、
夫を説得できるだけの力を持たない妻って
もしかしたら割りといるのかもしれません。
あまりにこの手の話をよく聞きますから。

夫が妻をリスペクトしてないことが原因かと推測しますが、
(リスペクトしていない相手の言うことなんて
あまり聞く耳を持てないですから。)
だとしても挽回するチャンスとして母親に頑張ってもらいたかったと思いました。

夫婦に一番大事なものってなんだろう、
そんなことを考えさせられました。
・・・・・・・・・・
あーやばい。
ダルくってダルくって、
気晴らしにBNと夕ご飯に行ったけど
とにかくダルかったから話は上の空で
椅子に全体重をかけて踏ん反りかえったり
背中を丸めてテーブルに肘立てたりして
どうにか楽に体重を預けられる方法はないかって考えてた。

それにしても凄い重力だ。
わかってる、重いのは心だ。
ちょっとストレスを過剰に溜め込んでる。
将来のことと、打ち切られた資金と、委託した実験のことと、
進展報告会のこと。

えーんダルい(;;)

あたしの主人は心だと思う。
この肉体は心にとても誠実な奴隷なんだ。
心が望めば肉体はどんな犠牲を払ってでも成し遂げる。

今ね、心がちょっと迷って
探るためにいろんなことを取り込みはじめてとうとうココまで重くなってしまった。

ほんっと、重い。
心ってのはなんて大きな重量を持ちうるんだろう。



・・・月にでも、いくか。
超〜体調悪いです。
どうせはかない命ならいっそのこと今すぐ終わってもいいんじゃないか、とか思う程度に悪いです。
まあ、そんなこんなな状態のまま先日、合コンというかタダ飯に補欠要員として拉致されたんですけども。。。

・    ・・・なんつーか、、、はぁ。。
テンション↓なのは体調のせいばかりではないみたいです。
じつはね、
『君、どこ出身?』
と学歴を聞いてくる人がいたせいです。・

いるんですよねー、いい大人になってもそのテのアイデンティティにしがみついてる人が。
灘だかラサールだか知りませんけど、だ・か・ら??って感じ。

『へー、君は○○大かあ、親父と、兄貴も○○大で、母親は△△高校のあと$$大で俺は◎◎高校のあと%%大・・・』
と知りたくもないのに一家の学歴のことまでくまなく教えられ
『・・・へ・・・え・・・』とあいまいな笑顔を返すのが精一杯でした。
共通点を出身校に見出してそれで盛り上がろうとする。
それだけならまだしも、名門どころを褒めてくれといわんばかりにならべられてなんだかゲンナリしました。
そういうのって自分から話すことじゃないですもん。
シャネル!とか大書きしたブランドの紙バッグをぼろぼろになっても持ち歩いて見せびらかすような恥ずかしさがあります。
聞いているこっちが恥ずかしい。

学生時代の話するなら、こんなヤンチャやったよ、とかのほうが面白いし、その人のセンスをアピールできると思うんですけど、きっと勉強勉強でそんな暇なかったんでしょうね。

そう思うとなんだかかわいそうで切なくもなりました。
充実した学生時代がなかったんじゃないかと、そして今も。
まだ、会社で立場を確立できてないとかの焦りがでてたのかもしれません、その人。

あー、勝海舟とか坂本竜馬とか大前研一とか村上龍とかがコンパにくればいいのに。
彼らならそんな痛いこと言わないでしょうし。
素でかっこよすぎてマトモに話せないとおもいますが(←ってそれ以前の問題)。。。
ある関西人にツっこまれた。

『お前がいうメイクイーンっての、クイーンつーか
 
 メンクイ、

 のほうとちゃうん?

 いつも顔でばっかりえらんどるやん』

読んでくれてるなら素直にクイーンと呼んでくれ。
そうしてくれるのが関東人、
突っ込んでくるのが関西人。

人種でたとえるなら関東人は紳士なアングロサクソン人あたり、
関西人は、、、、




やっぱり関西人種以外のなにものでもない。
『赤ちゃんポスト』 というネーミングに違和感をかんじる、と書いているのをブログ上で見かけたのだけど、
ポストの意味がそぐわないから違和感を感じるのではなくって本当はポストという音の質感がそぐわないから違和感を感じるんじゃないかと思う。
たとえば、赤ちゃん受け、とかゆりかご、としたらまだマシか。

私は「ポ」「ス」「ト」の音の質感はこんなふうに感じる。
ポ:ポップな破裂音
ス:スピード感とさわやかさがある
ト:止まる感じ、視覚的にあわわすなら「・」
(あ、わざとじゃないよ、頭文字がポ、ス、トになったのは。
単語そのものが対象に合う音のイメージの集積によってできたのだからきっと必然なのです。)

「ポ・ス・ト」って音の集積は時間もとらず気軽に何か置くところ、そんなイメージ。
その気軽すぎる音が子供を捨てるという行為にそぐわないから違和感を感じるのじゃないかって思う。

「ポスト」は郵便ポストとか三角ポスト(トイレにあるやつ)とかポスト小泉(あーこれは違うか)からわかるように物の一時的な集積地点の意味だから、ポストが生き物を、それも人間の子供を集積する場の名称としてそぐわない気がするのもうなずけるんだけどね。

私としてはポストでもゆりかごでもあまり興味はない。
どう例えようがそれが子供を捨てる場所、とう機能が変わるわけでも、ましてやそれを必要とする人がいなくなるわけでもないもの。

それより、言葉尻にひっかる感性をもった人が結構いることが面白いなと思った次第です。

そういう敏感さにけっこう憧れるのでどうしてその人は引っかかったのか考えてました、という日記。
■シマリスさんの子供が嫌い、という日記をよんで

あたしはどうかなあ、と考えた結果
子供に対しては時々聖母マリアだと思った。
デフォルトでは、無関心というのがしっくりする。

(一応、誤解がないように言っておくけど
シマリスさんは全子供が嫌いとは言っていない。
周囲の迷惑とかまったく考えられないような子供とか
ひねくれた子供に関して言っている。)

こんなことがあった。

私のピアノに落書きを試みた子供がいて、
私はそのピアノがいかに私にとって宝物で
たとえば君の大切にしている何とかレンジャーのバッジを
壊されることくらい嫌なことなんだと言ったら
その子は謝るどころか無視。

一瞬カチンとはきたが、
目一杯の営業スマイルで『ごめんなさい、する?』
と謝罪を促したらまたしても無視された。

だけど『謝らんとぉーーーっつ、怖いぞーーーー!!』
とコチョコチョこそばしたら『ゴメンなさい、もうしませんっ』
と泣き笑いながら謝ってもらえた。

こんな風に私は子供を子供(自分よりひどく低次元の存在)として接するのだ。

キホン、私はハナっから許したい気でいて
相手が子供だからという理由で我慢してあげて
相手がキチンと謝罪するのを待ってる。

だけどそれには、パワーが必要で正直消耗させられる。
自分に余裕がなかったり疲れてたりするとき
一番そばに寄せたくないのがそういう子供だ。

というわけで時に子供が嫌いだ。

時に嫌いだけど、基本的に好きでいたいのでマリア化願望があり、たまに変身してる。

だからときどき、マリア、
もちろん余裕のあるときだけ。。。。
(そこ、エセ・マリアとか言わない、わかってるからっ!)

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

■それでおもったのだけど、
他人の行動への感じ方や対処の仕方って相手の年齢がどうであろうと
あまり変化しないみたいだ。

だってよく考えたら、
シマリスさんが嫌う思う子供像は、シマリスさんの嫌いな大人像とも重なってるだろうし、
私の許しにかかる態度にしたって子供に対してだけじゃなくて大人に対してもやっている。
ヤな人を嫌わないですむように、許しにかかれるポイントをさがしてしまうのだ。

それより気分とか体調とかのほうがモノをいう、私の場合。。

あー、一番自分本位なガキがここにおります、、、。

シンドイ時も一定の態度をとれる人って
その大人さがカッコよくってつい、尊敬してしまう。
君は
なにを
卒業
できましたか?
夜、ラジオをつけてたら10代向けの番組に
十代の相談コーナー というのがあるんだけど
ひとつ気になる話があった。

クラスに陰口をいうボス格の子がいて
相談者はあろうことか陰口のターゲットにされてしまい
孤立してしまったがどうすればいいのかわからない、というもの。

あー、シンコク。。。

みんな自分を守るために、ボス格の子に同調するから孤立が成立する。
イジメって、自分を守るためにこうして起こる。

DJ、ちゃんとアドバイスしてやってくれよー
と思ったがお茶をにごして終わってしまった。

ありゃりゃ・・・。

:::::::::::::::::::::::::::::

そういえば私の時代もクラスに一人は必ずといっていいほどいた。
陰口さえなければ愉快な子なんだけど常に陰口にようる連帯感がなくちゃ居られない子。

その種の連帯感って麻薬なんだよね。
手軽な快感がゆえにやめられなくて
確実に心まで蝕まれてく。

陰口を言う人は他の人も言ってると思ってしまう。
つまりそれって今日の友がいつ敵になるかわかったもんじゃないから
常に身構えてなきゃだし
そんなことしてたら心を許せる親友もできない。

これが悪循環をつづけて
いつしかクラス全体がギスギスしてくる。

この不幸のサイクル。
これを絶ち切るのはとてもむずかしい。
DJが答えられなかったのも無理はない。

どーすりゃいいんだかあたしもわかんない。
けど考えてみた。

:::::::::::::::::::::::::::::

陰口の原因は孤独と嫉妬だとおもう。

まず心を許せる親友やカレシがいる子から陰口を聴いたこと、全くといって良いほど無いし
他人の行動が悪く見えるのは多くの場合
自分がそうできないストレスを反映してる。
(たとえば仕事をさぼってるのに世渡りがうまくて評価されるような人を腹立たしくおもったりするが
それってそうしたくてもできないので妬ましいのだ)

だから孤独と嫉妬を解消してあげられればイジメは解決するだろうが
しかし、それは不可能に近い。
他人を変えるのが不可能に近いからだ

唯一の手は自分が変わるしかない。
つまり運悪くターゲットにされてしまっても気にしないことだ。
冬はいつか終わるし、止まない雨もない、きっと。

あー、結局耐えるしかないってことか。。。。
誰の子かしらんが
陽だまりのなかで子供をだいていた
もうすぐハバレインタインデー。
みなさん用意はすすんでますか?

思えば私、人生でカレシ以外の本命には渡せたことが無いです。
用意だけはするんですけどね。

数年前にもカレシ昇格前の本命がいまして、
その時も用意だけはしました。
前夜に徹夜で作りましたよ、丹精こめたチョコケーキを!!

昼ごろ、デートに迎えにきてくれたホンメイ君が
玄関に隣するキッチンでケーキを見つけ、

「へー、誰に?」

とか言うもんだから
自分がその「誰」だとは全く思ってないのか?!
とテンパッた私は

「んなもんヒミツだよぉ!!(なぜか切れ気味)」

「・・・・。」

さりげなく渡せるベストチャンスをみすみす逃してしまったまま
結局、そのケーキは渡せずほとんど自分で食べて
(だって、すごくおいしかったんだもん)
残りは別の友人の腹に収まる生涯をたどってしまいました。

今年は 本命氏に手渡されることはなく、
おそらく自分で食べちゃう気がします。
秘めたるは華、とか
こんなうまいものを他人にあげるなんて惜しいよね
なんて言い訳しながら。

888888888888888888888888888

しかし、、、

どーしてバレインタインデーはチョコなんだ。
本来、甘いものは男の子より女の子のほうが好物なはずなのに!!

大目に買ったつもりでも
誘惑に負けてプレゼント用まで自分で食べてしまって慌てて買いなおしたりしません?

もし仮に, 「男→女」
にチョコをプレゼントするのがバレインタインデーのシステムだったならきっと
「自分用チョコ」の売り上げが落ちる分
現在のシステム(女→男)に方圧倒的な軍配が上がる気がします。

また、本命であればあるほど
女性なら高額のチョコレートを買うとか、
凝った自作のお菓子を作る、とかになってしまうので菓子業界が潤いますけど
男性ならチョコじゃなくて別のもの
たとえば、花とかアクセサリーにプレゼントの内容は変わってしまう気もしますし。

バレインタインデーにチョコレートという図式そのものより
「女性から男性に」チョコレートを贈るという図式こそ
これはホントによく練られた菓子業界の作戦ではないかと。

菓子業界の策略にどっぷりはめられてる気のする今日この頃
そんなことを思いました。

ああむしろ あたしが欲しい バレンタインチョコ(字余り)
はぁー・・・、くたびれたな。

マウスってシッポがウサギみたいのだったら
こんなにツラい思いをせずにすんだかもな。

すばしこく動いてものろまなシッポのせいで
捕まえやすいったらありゃしない、かわいそうなヤツ。

888888888888888888888888888888888888888888888888888

そういや昨日の昼下がり、大学近くで街頭演説やってて
「女性は子供を生む機械」発言にも触れてて
あははー、DNでも言われてたコト
すげー話題になってんだー、とミョーに感動。

なんてか あ、世の中てヤツがここにある みたいなさ。

TVもめったに見ないから
こんなんでもなきゃ「世の中」ってすっごく遠い存在なんだよね。

それにしても「子供を生む機械」発言だけど、

柳沢さん、いいオンナとのいい思い出とか皆無なんじゃないかー、
とか
母親に愛されなかったカワイソーなヤツなんじゃないかー、
とか
思っちゃうな。

フェミニズムの浸透した時代で
モテないオトコは政治家には向かない かもね。
さっきニュースで祇園祭のひき初めで白塗りの少年が山車の上で踊ってるのをみました。

日本って子供を神聖視する風習があるのかな。
むかしはみんな子供だったのに、それを尊いことだと思うということはどういうことなんだろう、と思いました。
大人になることを必ずしも肯定してないということか、
もしくは単純に子供をすごく大事だとおもう、
ひっくり返せば子供が成人になるまで無事育ちにくいという歴史を反映してのことなのかな。

ちっとも日本のことを知らないんだなあ、あたし。
日本人の美学というのはいかに成功するのではなく、
いかに終わるのか、にある気がする。

お国のために死ぬんだという誇りを持って死んでいった神風特攻隊にしろ、
切腹覚悟で主君の敵打ちをした忠臣蔵の大石蔵之助にしろ、
「行動は足利尊氏でも、心は楠正成なら良いではないか。」と負戦承知の蛤御門の変にしろ、
悲劇の英雄は最上の美談として後々まで語り継がれる。

勝敗を抜きにして、終わりを華々しく散ることができれば良いのか。
飛行機でビルに突っ込んだどっかの宗教とあんま変わらん気がする。

成功のあかつきに、ビーチでシャンパンをかたむける、、、、
なんてアカルイ発想は思いつかないんだろうか。

こんな自虐的な民族は将来どうなるんだろう??
心配になる。

しかし、ちょっと生命の歴史を振り返ってみると
死をもって発展してきた生命の多いこと!!
大腸菌は環境さえ良ければ基本的に死なない。
けど、性を獲得したわれら高等生物はあっさり死んでしまう。
もともと、性はお互いを食い合うようにして始まったのだから。

高次な生き物は死をもってその地位を作ってきたのだ。
少し擬人化した表現ではあるけれど、
生き物はいつも遺伝子を残すためなら、自己犠牲をもいとわぬ。
必死なのだ。

そういう生き方のできる日本人は、
実は最も発展しうるんじゃないだろうか、、、。
ムリヤリとか言わない、そこ!
流行にのってやっぱ、この話題でしょう!!

普段さ、安全か危険かなんて考えずに電車のってるけどさ
運転手さんがトチ狂っただけで
あの世逝きなのよ あなたもアタシも。

たった一人の他人の判断にすべてがゆだねられているって瞬間を
うちら意識しないのよ。

うちら気づかないのよ
けっこう社会は微妙なバランスによって保たれてるってコトに。

想像もしないのよ
そんな精神はココじゃ異常だもの。

結局、原因はスピードだったのか置石だったのか、
はたまた機器的トラブルだったのか
いまんとこはっきりしないけど
隠蔽のお得意な方々の話なので、真実は隠されるでしょう。
まあ、仕方ない。

そんなことより思うのは、
今、この瞬間瞬間が、
ほとんど奇跡に近いということ。

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