切り刻めないなにか
同居人のくーちゃんの可愛い頬をなで
ちょっと曲がったしっぽをもてあそんで、
肉球の温かさを感じ、
押し付けられる鼻先の冷たさを感じていると
ふ、と研究時代を思い出しドキッとすることがある。

当時、寒い手術台で私はマウスを解剖していた。


マウスを頸椎脱臼させるときのブチっと神経をちぎる感じ
頬の筋肉のしたの静脈めがけて、突き刺すニードルの
皮膚を突き破る感じ、
マウスの毛皮をはぐ感じ、
その下に現れる筋肉や動く心臓、びくびくと呼吸しようとする肺、
だらしなくデロンと出てくる腸。


私の手の中で安心しきって目をほそめている愛おしいこの存在は
あの時解剖したマウスと同じように
骨格や筋肉、血管、神経、臓器、血からなる物質的な存在でもあるのだということに驚く。

あの時と同じように、もし私がくーちゃんの首根っこを抑え、しっぽをぐっと引っ張ると
命が、照明を切るように、いともあっけなく途絶えてしまうであろうこと、
そしてそれはおそらく事実だということに驚く。





サイエンスは生命を切り刻み、細分化していって
その仕組みを物質的な視点から解明しようとする文化だ。

生命を感じたくて進んだ道だったはずなのに
切り刻めば切り刻むほど、生命を物質的にしか感じられなくなってしまうというジレンマを抱えて悩んだ日々。





生命個体を殺す作業はヒトとしての何かを殺す。

そして私は、サイエンスを辞めることにしたのだった。







私たちは間違いなく物質的な存在だ。

物質どうしなのに

ふいに誰かと心が通じ合ったりする。

それはなぜなのか。

切り刻めない何かの存在があるからか。

それは何なのか。

目と目が合って、胸になにか温かいものが流れ込んでくるように感じるとき

この目にみえない流れ込んでくるものは一体なんなのか?




命ある物質に内包されている、切り刻めない、何か。

単なる、神経伝達物質の移動だけでは説明のつかない共鳴現象を目の当たりにするとき

なにかささいだけど大いなるもの、

その存在をみとめざるを得ない、と感じることがある。


命って何なのか。
愛って何なのか。
魂って何なのか。


言葉で説明できる肉の塊、という次元を超越したところにあるこの存在。


でもね、深いところではきっとわかってる。
泣きたくなるほど愛おしい、何か、
だってこと。


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