いさかい

彼が今日、出国した。ビザ申請が降りず、再申請したのだが、その可否が知らされる前にビザが切れてしまったのだ。
最近、些細なこと、例えばちょっとした言葉尻や、言葉が足らなかったり、言わなければいいと分かってて言ってしまったりで険悪なムードになることが多かった。今思えば、お互い心細かったんだろう。

きっかけはなんだったのかすっかり分からなくなってしまった。
なんでこんなふうなんだろう、と悲しくなるようなスラングの暴言が彼の口から溢れたのを目の当たりにして、凍りついた。英語が意味を失って単なる音になった。彼が何を言っているのか集中しようと頑張ってみても指の間からすべりおちる砂のように意味がサラサラと無くなって掴めない。稚拙な私の言葉を遮ってまでも怒鳴り散らすこのイギリス人は一体、誰なのかすら分からなくなった。
『そういう悪い言葉をあなたにいわれるたびに気持ちが冷めてしまうの』と機械的に英作文して言葉にした。彼が正気にもどる最後のチャンスを、どうか彼が受け取りますように、と木っ端微塵になった心の破片の一つで思いながら。

さっきまで怒りで血走っていた彼の目つきがふ、とやさしく不安げになった。態度を一変させ謝る彼の言葉もキスもハグも花束も拒絶してしまう自分。そんな自分が歯がゆい。でも、心が凍った状態はどうしようもなく、そんな私に再びイラつきを感じ始める彼。出立の時刻がせまっていた。