■少し体調がいい。
相変わらず私は生きてて、それを奇跡のように感じて、多幸感がある。
空気がおいしい。
チェルシーというキャラメルとバターの味がする飴を食べている。
食べ始めたら止まらなくなってしまった。
さっき売店で買ったばかりなのに箱にはもういくつも残ってない。
甘ったるすぎる飴に内臓はウンザリしてるのに
糖分により快感を得るよう仕組まれた私の脳は
さらに快感を求めて飴を求め続けている。
私は脳の言いなり。
快感の言いなり。
ムカムカする胃を無視して飴を口に放り込むと
すぐさま『ムカムカ』より『おいしい!』に支配される。
飢餓の心配のない現代においては
過食はメタボを引き起こすばかりなのに
私の古い脳は相変わらず
糖分摂取を奨励しつづける。
それに抗えないあたしもあたしだが
いい加減にこの脳みそにウンザリしてきた
ああ、ウマすぎ、この飴
■古い脳だけじゃなくって
もっと全身の意見を聞かなくちゃ、と思う。
これは私の『意識』が総合的に判断してそう言ってる。
このままじゃバランスが悪いと。
意識とは少し進化した脳の意見のことだ。
ストレス、過食、アンバランスに身体を酷使する労働
こんな時代でも人は生き抜けられるように
私たちはちゃんと新しい脳に進化させたのだ。
ちょっとは環境に適応してんじゃん、あたし。
飴を食べ過ぎて反省したときなんか、特に実感する。
頭に糖がいつも以上に回ってるからだろうか。
■しかし意識は生きるためのプログラムにすぎない。
環境の変化に適応するために新たにインストールされたソフト。
意識的に飴を食べるのを辞めようが
それがあたしの意志とよべるのかどうか疑わしい。
生き抜き、遺伝子を伝えるよう基本のプログラムされた脳が
食べすぎで寿命が縮まる、もしくは繁殖の機会を逃すという知識によって
自動的に食べすぎを自粛しただけだから。
高カロリーという危険因子に体が防衛応答しただけだ。
でも私は意志を持っているような気がするし、
なら『わたしの意志』って何なのだろう?
つまりあたしは一体どこにあるの?
きっと意識よりずっと深いところにある何かだ。
無意識というやつなのだろうか。
それとも私は『意志』を
『太るのやだから食べるのや~めた』よりもっと個性的で崇高なものだと夢想しているだけ?
意志って、全身全霊で(←ちょっと大げさ)情熱をかたむけられるようなかっこいい部類に入る『想い』のことだと思ってたのね。
さっきから体の筋肉は使われることをうずうずしながら待ってる。
とりあえずパソコンの前から離れて
少し散歩してこようと思う。
考えすぎると体の声は聞こえない。
もっと体の声を聞けるようになったら
私はもっと意志について分かるような気がする。
それにしても机に向かうことが多すぎるこの生活が
すこし息苦しい。
ついでにこんな文章でますます読者がいなくなってしまいそうなのも。
というか、みんなは考えないのかな、こういうの。
10代に一度は考えたよね、ね、ね、、、、、、、。
相変わらず私は生きてて、それを奇跡のように感じて、多幸感がある。
空気がおいしい。
チェルシーというキャラメルとバターの味がする飴を食べている。
食べ始めたら止まらなくなってしまった。
さっき売店で買ったばかりなのに箱にはもういくつも残ってない。
甘ったるすぎる飴に内臓はウンザリしてるのに
糖分により快感を得るよう仕組まれた私の脳は
さらに快感を求めて飴を求め続けている。
私は脳の言いなり。
快感の言いなり。
ムカムカする胃を無視して飴を口に放り込むと
すぐさま『ムカムカ』より『おいしい!』に支配される。
飢餓の心配のない現代においては
過食はメタボを引き起こすばかりなのに
私の古い脳は相変わらず
糖分摂取を奨励しつづける。
それに抗えないあたしもあたしだが
いい加減にこの脳みそにウンザリしてきた
ああ、ウマすぎ、この飴
■古い脳だけじゃなくって
もっと全身の意見を聞かなくちゃ、と思う。
これは私の『意識』が総合的に判断してそう言ってる。
このままじゃバランスが悪いと。
意識とは少し進化した脳の意見のことだ。
ストレス、過食、アンバランスに身体を酷使する労働
こんな時代でも人は生き抜けられるように
私たちはちゃんと新しい脳に進化させたのだ。
ちょっとは環境に適応してんじゃん、あたし。
飴を食べ過ぎて反省したときなんか、特に実感する。
頭に糖がいつも以上に回ってるからだろうか。
■しかし意識は生きるためのプログラムにすぎない。
環境の変化に適応するために新たにインストールされたソフト。
意識的に飴を食べるのを辞めようが
それがあたしの意志とよべるのかどうか疑わしい。
生き抜き、遺伝子を伝えるよう基本のプログラムされた脳が
食べすぎで寿命が縮まる、もしくは繁殖の機会を逃すという知識によって
自動的に食べすぎを自粛しただけだから。
高カロリーという危険因子に体が防衛応答しただけだ。
でも私は意志を持っているような気がするし、
なら『わたしの意志』って何なのだろう?
つまりあたしは一体どこにあるの?
きっと意識よりずっと深いところにある何かだ。
無意識というやつなのだろうか。
それとも私は『意志』を
『太るのやだから食べるのや~めた』よりもっと個性的で崇高なものだと夢想しているだけ?
意志って、全身全霊で(←ちょっと大げさ)情熱をかたむけられるようなかっこいい部類に入る『想い』のことだと思ってたのね。
さっきから体の筋肉は使われることをうずうずしながら待ってる。
とりあえずパソコンの前から離れて
少し散歩してこようと思う。
考えすぎると体の声は聞こえない。
もっと体の声を聞けるようになったら
私はもっと意志について分かるような気がする。
それにしても机に向かうことが多すぎるこの生活が
すこし息苦しい。
ついでにこんな文章でますます読者がいなくなってしまいそうなのも。
というか、みんなは考えないのかな、こういうの。
10代に一度は考えたよね、ね、ね、、、、、、、。
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